おの・じゅんいち|かつて池袋に存在した『高野書店』での丁稚奉公を経て、家業を継ぐ形で『盛林堂書房』のオーナーに。東京都杉並区西荻南2-23-12 ☎︎ 03•3333•6582 11:00〜18:30 月休
本を何のために買うのかといえば、それはもちろん読むために買うと思うのだけど、必ずしも読む楽しみだけのために本を買わなくてもいいんじゃないか?
そんなことを考えさせてくれたのが西荻窪にある古書店『盛林堂書房』の店主・小野純一さんだ。
西荻窪駅から徒歩2分、商店街を通って駅前の喧騒とは少し離れた場所にある『盛林堂書房』は、昭和24年に小野さんのおじいさんが開店して以来、一度引越しを挟みつつ家業として三代受け継がれてきたお店。2012年からは出版部門の「書肆盛林堂」をスタートし、知り合いの作家さんを中心に月一ペースで書籍の刊行もしている。
取材日はあいにくの雨だったものの、昼間からお客さんが出たり入ったりで、ご近所さんの暮らしの一部として街に溶け込んでいる様子だった。
「お客さんは地元の方が多いですが、週末になると別の地域から来られる方もいます。元々山に関する本が多い書店だったけど、僕が継いでからはミステリーの割合が増えたかな。ただミステリーって言っても結構受け皿は大きいんです」
ミステリーと聞けばとりあえず殺人事件が起きるイメージしか湧かない僕だが、小野さんは丁寧にその魅力を説明してくれる。
「例えば怪奇現象を解き明かしていく物語もミステリーに含まれますし、星新一作品のようなSFモノもその一つ。必ずしも探偵が事件を解決する話だけとは限らないんです」
犯罪や事件が起こらない、少し頭を考えさせられるような不思議な話もそのジャンルに入るという。確かにそう考えると、僕らに身近な話は全てミステリーのような気がしてきたぞ。
「探偵モノにも種類があります。例えば『アームチェア・ディテクティブ』というジャンルは、事件現場で探偵が推理を行うのではなく、探偵はオフィスで椅子に腰掛けながら事件を解決してしまうんです。そういう事件解決プロセスの違いに目を向けても、ミステリーの世界はグッと広がりますよ」
そういえば、昔テレビで観た探偵「ネロ・ウルフ」も自室に引きこもってばかりだった気がする。現場そっちのけで事件を解決してしまう探偵に、織田裕二…じゃなくて、青島俊作はなんと言うだろう。
「あとはミステリーにも、純文学的に楽しめる作品は多くあります。西村京太郎の作品は鉄道をテーマにした作品が多いですが、推理小説特有のトリックだけでなく、情景描写も楽しめるのが特徴ですね」
そして小野さんが特に勧めてくれたのは、ミステリー小説のデザインだ。
「戦前の日本では純文学以外の作品は大衆向きではなく、ミステリーなんかは所得に余裕のある人たちのたしなみだったので、装丁も豪華になっていった経緯があるんです」
『盛林堂書房』に並ぶ多くの本は、劣化を避けるため薄葉紙に包まれたものがほとんどだが、いざ紙を開いてみるとモダンなデザインに目を奪われる。小野さんがミステリーに興味を持つようになったそもそものきっかけも、内容ではなく表紙や挿絵といったビジュアルデザインだったという。
「これは僕がミステリー小説のデザインに惹かれるきっかけにもなった、角川文庫から出版されていた横溝正史の作品の一つです。このように戦後に出版されたものもユニークなデザインが目立ちますが、戦前は凸版印刷ならではのデコボコした触り心地など、立体的に本のデザインを楽しめる要素が多かったんです。こういうのは電子書籍や新刊書では楽しめない、古書ならではの本の楽しみ方だと思います」
なるほどなぁ、と得心すると同時に小学生の頃、学校の図書館の隅っこの棚から江戸川乱歩の「怪盗二十面相」がはみ出していたのが不気味だったのを思い出した。ちびっ子にはトラウマを植え付けかねない独特のデザインは、大人の嗜みとしてのミステリーに欠かせないアクセントになっていたのかも。
「そんなわけで、ミステリーものはブックデザインで欲しいものを探している方も結構いらっしゃいます。今では著名な画家が、若手時代に表紙を担当した作品もあったりして、そういうのを探すのもミステリーの楽しみ方の一つです」
純粋に読むだけじゃなく、いろいろな本の楽しみ方を見出してほしいという小野さんに今回勧めてもらった本はこちらの三冊!
1st Dig 『青春18きっぷ古本屋への旅』岡崎武志,古本屋ツアー・イン・ジャパン
『盛林堂書房』の出版部門である「書肆盛林堂」からの一冊。青春18きっぷを握りしめ、JRで関東圏内の古本屋を巡る冒険譚には、古本屋だけでなく周りの街並みやグルメレポもあり。古本屋がお題のはずだけど、無性に旅に出たくなるのがこの本のクセになるところ。
2nd Dig『幽霊の2/3』ヘレン・マクロイ 訳:守屋陽一
毒殺事件の謎を解明するこちらのミステリー作品。実は現行のものとは訳者とデザインが異なる旧訳版が存在し、小野さんに紹介してもらったのは1962年に発行された、一種の「レア物」だ。2冊揃えて今昔のデザインや翻訳表現の違いを楽しむのが乙なんじゃないか?
3rd Dig『鏡花選集』泉鏡花
国語の教科書でもおなじみ、泉鏡花の作品集だが、見どころは版画家の小村雪岱が担当した表裏の見返しだ。表は日中の湯島天神の様子が、そして裏には夜の路地裏の様子が描かれており、長屋から外に漏れ出る光の描写がめちゃくちゃモダンでカッコイイ。表紙の唐獅子も金箔押しで、これ本当に本か? と疑いたくなる装丁。
『盛林堂書房』を訪れるお客さんには若いお客さんも多く、山盛りに本を買っていく思い切りのある人は、大抵若者なんだとか。店にはちょっとやそっとでは手が届かない高価な本も並んでいるが、それでも実際に足を運んで、生の本を体験して欲しいというのが小野さんのスタンスだ。
「基本的に購入の意思があるお客さんには、実際に陳列している本は全て手に取れるようにしています。読む以外に本を楽しもうとすると、それが必要になってきますから。ミステリーや古本の楽しみ方がわからないという人も、一度『盛林堂』に来て本に触れてもらうと良いと思います」
「読む」のではなく、「観る」ことも紙の本、特にミステリー作品の魅力だと語ってくれた小野さん。インテリアとして紙の本を買うのはいかがなものかなんて声もあるけど、そういってもらえるとなんだか心強い。
それに、「観て」いい本が「読んで」も面白かったなんてことがあったら最高じゃないか!
写真・文:吉村 哲 編集:飯野僚子